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東京高等裁判所 昭和53年(ネ)2819号 判決

控訴人 中村岩夫

〈ほか二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 米田軍平

被控訴人 矢板市

右代表者市長 大谷英一

右訴訟代理人弁護士 舘野清

同 舘野明

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

一  控訴人ら代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は矢板市立矢板小学校校庭に設置されている「よい子の像」台座の碑文字のうち、原判決別紙第二目録上段記載の文字をそれぞれ同目録下段記載の文字のとおり改刻せよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠の関係は、次のとおり補正・附加するほかは、原判決事実摘示中、控訴人らに関する部分と同一(ただし、原判決三枚目表六行目に「教育法」とあるのを削除し、同七行目冒頭に「教育法」と加え、同五枚目裏二行目に「するのが」とあるのを「するのかが」と、同八枚目裏一行目に「軽卒にも」とあるのを「軽率にも」と、同九枚目表七行目に「提起し得る」とあるのを「本件訴えを提起する」と、同枚目裏七行目に「諸条件の」とあるのを「諸条件を」とそれぞれ改める。)であるから、これをここに引用する。

1  控訴人ら代理人の主張

(一)  本件像及び碑文字は、一般市民を対象とするものではなく、矢板市立矢板小学校(本件学校)の児童生徒を対象とし、これに対する教育効果を求めて設置されたものである。このように、広く一般市民を対象とする公園、広場等に設置される像、碑とは異なり未発達の生徒児童を対象とし、しかも学校教育の場での教育効果を意図したものである以上、その設置にあたっては、許容されるべき一定の限界が存することは自明の理であって、その限界を超える場合、法による規制を受けることはやむをえないところというべきであり、本件碑文字は、本件像と一体としてこれらをとらえたとしても、右の限界を超えているのであるから、裁判所はこれに対する規制機能を果たすべきものである。

(二)  小学校においても、児童生徒に対し芸術教育、情操教育を行うべきことは当然であり、このことは学校教育法一八条八号の明定するところである。しかし、芸術教育等は、誤った文字の上に成り立ちうるものではないのであって、正しい文字のもつ造形性を生かし、それを認識するところから出発しなければならない。もともと我が国における文字の文化は、文字が単なるコミニュケーションの手段というにとどまらず、それに内在する美的観念が特徴となっており、その美的観念を理解し創造するには字体の正しさが基本になっているものである。もし仮に字体の正しさを無視した芸術性があるとするならば、文字のもつ文化性は破壊され、独善的な芸術観の横行を許すに至るであろう。

昭和四三年度小学校学習指導要領には、「その指導は字形を正しく認識し、文字を整えて書くとともに、文字に対する意識を深めることを主眼とする。」として、書写、書道が各々必須選択科目とされ、字形の正しさが教育の基本をなし、これを無視した義務教育過程での芸術教育等はありえないことが明示されている。義務教育過程における国語科書写は、国民共通の標準書体を正しく教えることを目的とし、行・草書体は教えず、楷書体のみを教えることとされている。同過程にある児童生徒は、書の技術や芸術性・文化性を理解するには未熟な発展段階にあり、これらを正しく理解、把握させる意味からも、その前提として正しい文字を教えることが不可欠である。

(三)  本件像の台座の表面の碑文字には五つの漢字があるが、そのうち「元」、「気」(一行目のもの)、「根」は楷書体、「仲」、「気」(三行目のもの)は行書体で書かれており、このように楷書体のなかに行書体の文字を混入させることは書法上許されない誤りである。加えて、右漢字のうち「根」は十画目を八画目の縦線の左に突出させている点で誤っており、右は筆勢、流派、書風とは関係のない基礎的な誤りである。側面の碑文字については、新字体の「銭」の下に旧字体の「募」が書かれ、新字体、旧字体を混合しており、そのほか「像」、「創」、「標」、「児」等は明白な誤字である。

本件碑文字は、本件学校の校庭に設置された永久的建造物である本件像の台座に刻印され、しかも同校の学校訓とされているものである。同校に学ぶ児童生徒は、朝礼、祝祭日の式典だけでなく、日常的に本件碑文字に接触し、その影響を受けている。右児童生徒は前記のとおり未熟な段階にあり、最も影響されやすい、いわば白紙の状態にある者達であり、これらの者に右のような誤字あるいは書法上の基礎的な誤りを犯した文字を示すときは、これを正字と誤って理解する危険性が十分考えられるのであり、もしそうであるとすれば、国語の基礎教育上由由しい結果を招くことは必定である。

(四)  控訴人らの子が全員本件学校を既に卒業し、同校に在籍していないことは認めるが、そのことから控訴人らの当事者適格を否定するのは失当である。

本件碑文字が刻印されている台座は石造であり、永久的建造物といえるものであるところ、少なくとも控訴人らを含む本件学校の校区内に居住する者は、将来、その子女、更にそれらの子女が本件学校に就学することが予定されている(矢板市のように土着性の強い地域では親、その子、孫が同一小学校に就学する例が多く、学校と居住者との関係は極めて密接である。)。右校区内に居住する者は、同校に現に在籍せず、あるいは在籍する子女をもたない場合でも、いわば潜在的在学関係の地位を有するものということができる。

加えて、本件像は、本件学校児童の廃品回収作業による利益、控訴人らを含む当時の就学児童の父兄からの寄附、就学児童をもたない校区内居住者の寄附によって建設の経費がまかなわれ、これらの者の労役提供によって建設されたものである。

右によれば、控訴人らを含め、少なくとも本件学校の校区内に居住する矢板市民は、本件訴えを提起する当事者適格を有するものというべきである。

2  被控訴代理人の主張

控訴人らの本件訴えは控訴人らの子が本件学校に在籍していることを前提とするものと解されるところ、控訴人らの子は全員本件学校を既に卒業し、当審口頭弁論終結時である昭和五六年一一月一一日現在、同校に在籍していないから、控訴人らは当事者適格を欠き、本件訴えは却下されるべきである。

3  《証拠関係省略》

理由

一  被控訴人が学校教育法二九条に基づき本件学校を設置するものであること、本件学校が創立一〇〇周年記念事業の一つとして同校校庭に「よい子の像」(本件像)を建設し、昭和四八年一一月二七日完成したこと、本件像の台座の二面に訴外佐貫蕉歩が書き石工技師が刻印した原判決別紙第一目録記載の本件碑文字が刻まれていること、以上の事実は、当事者間に争いがない。

そして、《証拠省略》をあわせれば、控訴人らはいずれも本件学校の校区内に居住する矢板市民であり、その子が本件像の完成及び本件訴えの提起当時本件学校に在籍していたことが認められる。もっとも、控訴人らの子がその後全員本件学校を卒業し、現在同校に在籍していないことは、当事者間に争いがない。

二  被控訴人は、本案前の主張として、本件における控訴人らの請求は行政訴訟の一つである抗告訴訟によるべきものであり、これを抗告訴訟とみた場合、その要件を満たさず不適法であると主張する。しかし、被控訴人は、学校設置者として本件像を設置、管理しているものであるが、被控訴人の本件像の設置、管理をもって、行政庁の処分その他権力の行使にあたる行為ということはできないから、右設置、管理の瑕疵を問うことに帰する本件訴訟を抗告訴訟とみることは当を得ないものであり、右主張は失当というほかない。

三  次に、被控訴人は、控訴人ら、被控訴人ともに本件訴訟の当事者適格を欠く旨主張するので検討するに、一般に、給付訴訟においては、原則として、自己に給付請求権があると主張する者が原告適格を有し、また、原告によって給付請求権の義務者と主張される者が被告適格を有するものと解すべきである。

これを本件についてみるに、控訴人らは、本訴において、請求の趣旨記載のとおり碑文改刻という給付を求める請求権を有すると主張し、被控訴人は、控訴人らによってその義務者であると主張されているのであるから、控訴人ら、被控訴人ともにそれぞれ本件訴訟の当事者としての適格に欠けるところはないものというべきである。被控訴人が控訴人ら、被控訴人ともに当事者適格を欠くものとする理由は、ひっきょう、控訴人らがその主張するような給付請求権を被控訴人に対して有しないというに帰するものであり、右給付請求権の存否は、本案の審理の結果判断されるべきすじあいである。

したがって、被控訴人の前記主張も採用の限りでない。

四  よって、以下本案について判断を進める。

控訴人らの本訴請求は、本件碑文字の存在が、現在及び将来にわたり、本件学校で学ぶ児童に対する正しい国語教育を阻害する要因となることを前提とし、これによって控訴人らが教育に関する自己の権利ないし利益を侵害されるとして、その救済、是正を求めるべく本件碑文字の改刻を請求するというにあるところ、まず、控訴人らの主張する右前提自体を肯認することができるかどうかを検討するに、控訴人らは、本件碑文字に誤字、不可字があるとして、これにより本件学校児童に対する学校教育法一八条四号所定の小学校の教育目標に合致する国語教育が阻害されると主張するものであり、《証拠省略》によれば、本件碑文字のうち控訴人らが原判決別紙第二目録上段で指摘する字(ただし、「供」を除く。」が小学校国語科において学ぶ標準字画、字体と一致していないことは明らかである。しかしながら、一方、前認定の本件像建設の経緯及び《証拠省略》によれば、右不一致の多くは運筆の自然の勢いによる面が強く、不一致の度合も、少なくとも外形的に見る限りは必ずしも著しいとはいいがたいこと、本件碑文字部分を含む本件像は、国語科の教育を目的として建設されたものではなく、本件学校の創立一〇〇周年を記念し、あわせて本件学校児童を主たる対象として象徴的ないし情緒的効果をあげることをねらいとするものであること、学校側において適切な配慮をするならば、本件学校児童に本件碑文字が国語科の教材となるものでないことを認識し理解させることは容易であると思われること、現に、《証拠省略》によれば、本件学校においては、控訴人らから本件碑文字に誤字等があると指摘されたのをうけて職員会議を開き、児童が誤って本件碑文字を書写教材として受け取り、教科書等の教材にあらわれる標準字画、字体を無視することがないように教師が適宜指導、注意することを申し合わせ、以来これを実行し、児童にその旨理解させていることが認められることなどを総合考慮すれば、前記のように本件碑文字の一部に標準字画、字体と一致しないところがあるからといって、そのことが直ちに、法的強制力をもって当該碑文字の排除ないし是正を実現しなければならないほどの、本件学校児童に対する国語教育上の阻害要因となるものとはにわかに断定しがたい。《証拠判断省略》

そうすると、その余の点を検討するまでもなく、控訴人らは被控訴人に対し本件碑文字の改刻を求めることができないものというべきである。

五  よって、控訴人らの本訴請求は失当としてこれを棄却すべきであり、これと結論において同旨の原判決は相当であって本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林信次 裁判官 浦野雄幸 河本誠之)

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